序章 「銀行入行時(1970年代前半)の時世」

私は年昭和46年に銀行に就職した。

大学時代は、学生運動の最盛期でまともな講義も少なかった。
団塊の世代のお尻を見て育った「宴の後=ピークアウトの過程」といった環境は、「なんとなく私たちの時代は雰囲気が変わってきてる」っていつも思っていた。そんな自分の時代に重なる部分を感じたのか「産業革命と社会運動」に興味を持ち、卒論もそんなテーマに取り組んだ。それが、なぜ銀行員になったのか・・・?

銀行での30年余は、「時代の大変化」と「その後始末」のなかで過ぎ去った。「会社の寿命は年」、「ワンジェネレーション、30年」と考えれば、起こりうることがそのとおりに起こったというに過ぎないが・・・。

今後数回に亘って、『今を未来に繋げる』銀行の役割について、様々な話題や思い出話を交えながら自分なりに総括してみたいと考えている。

30年の銀行員生活の間に起こった時代の変化の過程を振り返りながら、今そしてこれからの時代を生きる若い銀行員の方々にとって、何らかのヒントとなれば幸いである。

以下、思い出話の序章として、私が就職する前後に起こったいくつかの事件と、その後の展開、結末を書き出してみた。みなさんは、矢印(⇒)をどんな風に描き、企業の対応を推理するだろうか?
【1970年(昭和45年)】
  1月:国際決済銀行(BIS)に正式加盟

   ⇒88年3月 自己資本比率規制の導入

   ⇒年4月 金融ビッグバン

  3月:新日鉄誕生
   ⇒03年4月 JFE誕生

【1971年(昭和46年)】

  1月:TDA新発足
   ⇒02年10月 新JALグループ誕生

  6月:財形制度創設・日住金(住専第1号)創業

   ⇒95年月 住専処理閣議決定

  8月:ニクソン、ドル防衛策を発表(ドルショック)

   ⇒同年月 スミソニアン体制(1ドル=308円)

   ⇒年2月 円為替変動相場制移行

   ⇒85年9月 プラザ合意

  10月:第一勧銀誕生

   ⇒2年10月 みずほグループへ再編

【1972年(昭和47年)】
  5月:初の環境白書発表

   ⇒年5月 地球温暖化防止の京都議定書批准承認

  9月:田中内閣、日中国交正常化

   ⇒00年代 中国ブーム、今や世界を揺さぶる工業大国

  10月:ホンダ低公害エンジン開発

   ⇒04年 ハイブリッドカー時代の到来

  10月:厚生省「大規模年金保養基地グリーンピア構想」発表

   ⇒01年12月 グリーンピア廃止の閣議決定、そして年金改革

【1973年昭和48年】
  3月:チッソ水俣病裁判

   ⇒79年3月 チッソ支援に熊本県債方式

   ⇒現在、チッソは70年代に開発した液晶材料で世界のトップへ

 10月:第4次中東戦争=オイルショック

   ⇒04年 石油価格の高騰

ペンネーム  「?啄」(55歳)
1971年入行後、大口顧客・財形等の個人営業、新規開拓、企業審査、企業再建、不良債権処理等の法人営業、更に営業企画、内外の業務効率化・監査再編等の本部業務を本店、首都圏、関西圏で課長、部長、支店長、役員として幅広く担当。現在は、運用会社の役員として、資金運用、リスク管理、コーポレートガバナンスの向上に取り組んでいる。
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