第2回 金融危機はなぜ起こったのか|『借金力』をつけるにはどうしたらよいか
今回は、リーマンブラザーズの破綻に端を発した、世界を揺るがす金融危機がなぜ起こったのか、その本質的な問題についてお話したいと思います。この本質を知ることで、金融界を取り巻く根本的な問題点がご理解いただけるものと思います。 まず、世界の経済情勢は、時代が変化する中で、高度成長を経て物不足から物余りの世の中と変遷してきました。その後、IT革命という大きな変革を経て、市場のニーズが物からサービスへと移り変わってきたというバックグラウンドが前提にあります。 これは、実物価値から付加価値を求める世の中に変わってきていると言い換えることができると思いますが、資金的には資金不足から資金余剰の世の中になってきているということになります。 銀行というのは、家計部門で集めた預金を、資金の不足する企業部門に資金仲介を行うことが基本的なビジネスモデルです。こうした時代変遷の流れの中で、企業部門における資金需要というものが大きく減少し、慢性的な資金余剰の状態になってきています。
バブルの時代には、銀行は資金の効率的な運用先を求め、不動産融資を拡大することにより、企業の余った資金を吸収し、更に株式やゴルフ会員権といった投資資金を供給していったわけです。いわゆる投資と借入をパッケージ化した形で、企業や個人に対し積極的に売り込みを続けていったわけです。 図1に示すとおり、バブル前後である1980年台から1990年代前半にかけて、企業部門は国内外に向けた投資を拡大した結果、資金不足が常態化した状態となっています。ところが、1997年に発生した金融危機を境として企業は資産リストラを進め、借入金返済に大きく舵を切り、再び資金余剰の状態を作ってきていることが読み取れます。 注目すべき点は、1981年から1983年にかけてですが、ほとんどニュートラルになっています。つまり、すでにこの時点で企業部門は資金余剰の前兆がみられていたわけで、銀行の仲介モデル、家計部門から企業部門への資金仲介という機能はひとつの曲がり角にきていたんではないかということです。 では、そうした中で、金融機関が、どんな構図になっているのかお示ししたいと思います。
図2に示すとおり、約10年前の1998年は、金融機関の貸出残高は565兆円、日本のGDPの1.1倍の貸出がありました。銀行が478兆円、信金が70兆円、信組が17兆円です。 それが、2008年には、貸出全体で477兆円と90兆円近く減っているわけです。 どうして減ったのかというと、遊休不動産など資産売却を行ったり、リース、証券化などを活用してバランスシートから資産を切り離すことにより、借入金の返済を優先したり、新規の調達に際しても、直接金融(社債の発行など)等を積極的に活用してきたからです。
図3を見てください。1980年代までは、現在のメガバンクですが、都市銀行は上の図のように、預金よりも貸出が多い状態、一方で地銀とか信用金庫は下の図のように逆の状態にありました。そこで、地銀、信用金庫の余った資金をインターバンクや金融債を通じて、都市銀行など資金不足の銀行に回金していくことで、ある程度バランスがとれていた訳です。ところが、現在は、すべての銀行が下の図のような状態になっています。そうすると、銀行はどうするかというと、その余った資金を有価証券投資に回さざるを得なくなるということになります。 実は、この状況がサブプライム問題から金融危機を招き、銀行の苦しい現状に陥れた最大の原因なんです。 彼らは、最初はリスクの低い国債などで運用をするのですが、国債だけでは十分な収益が稼げない。そこで、徐々にリスクの高い資産にシフトしていきました。外貨建て債券であったり、CDOとよばれる債務担保証券などを少しずつ組み込んでいくわけです。
これは、日本に限ったことでなく、欧米諸国でも同様の状況であったことから、世界の金融機関が投資収益を求めて、こうしたリスクの高い商品に目を向けていきました。 こうした状況の中で、新しいハイリスク商品がどんどん開発されてきたわけですが、これを支えたのが金融工学の発達です。1989年のベルリンの壁が崩壊し、1991年にはソ連が崩するということで、いわゆる東西冷戦が終結を迎えることになります。そうすると、これまで活況を呈してきた軍需産業が再編を余儀なくされ、産業を支えてきた非常に優秀なエンジニアたちが、新たな業界を求め、金融業界にどんどん移ってきたわけです。アメリカでは、トップクラスの優秀なエンジニアの約70%が軍需産業に行くと言われていたことからも、かなりの人たちが金融業界になだれ込んできたわけで、一気に発達を遂げてきました。日本でも従来、銀行員というのは文科系の職場というイメージが強かったんですが、1990年ごろからは、トップクラスの大学の工学部などの大学院卒の人たちを採用する動きが強まりました。そうして、証券化という商品が生み出されていくわけです。 証券化は、あらゆるキャッシュフローを生み出す資産をベースに、特別目的会社というものを使って小口に分割して投資家に販売していく手法です。当初は、単純な資産が中心でしたが、徐々に金融商品を組み合わせて多様化した商品を開発し、金融工学的にリスクを少なくした形にして、販売を加速させていきました。 また、デリバティブ(金融派生商品)という、リスク回避を行うための商品が開発されます。金利スワップ、為替スワップなどマーケットリスクをヘッジするものから、天候デリバティブといった、想定外の自然環境に対する保険的なもの、また企業の倒産リスクをヘッジするクレジットデリバティブなど、あらゆるリスクに対する商品が開発されてきていました。 こうしたリスク商品への投資が加速していく中で、米国では不動産業界での資金需要を新たに創出していく動きが活発になってきます。 それが、サブプライムローンです。低所得者向けの住宅ローンであり、通常では家を買ったり、住宅ローンを借りられない人たちを対象に、住宅ローンを借りさせ、家を購入させたわけです。このサブプライムローンというのは、当初の金利を低く抑えることにより、支払能力の低い人にでも返済がしやすい設計にしています。また、金利があがる時点には、不動産価格が上昇しているという想定のもと、借換をすることにより新たに低金利を享受できるように仕組んだローンです。 また、ノンリコースローンと呼ばれる、対象不動産のリスクに限定して、借り手の他の資産に遡及しないローンであったこともあって、更に借り手に安心感を与えたわけです。
こうしたローンが、先ほどご説明しましたCDOに組み込まれ、複雑な金融商品に作り変えられ、投資家にどんどん販売されてきました。 しかし、その後、過剰な不動産価格上昇に翳りが見えてきたことから、サブプライムローンの基本的な設計に狂いが生じはじめ、徐々に不良債権化し、これらを組み込んだ金融商品相場が値崩れを起こし始めたわけです。 複雑化した、これらの商品は、一旦こうした状況になると売却するにも価格設定が難しく、投資家は、その損失を埋めるために他の流動性のある資産を売却する行動に及ぶこととなり、あらゆる商品に波及した結果、金融市場の暴落を引き起こしたのです。 つまり、金融機関の資金余剰という構造的問題こそが、最大の原因であり、そこに冷戦終結による金融工学の発達という時代背景が加わり、更に不動産という武器が加わったことで、これまでにない金融危機が演出されたということです。
(2009/7/24 掲載)