みずほフィナンシャルグループ取締役 執行役社長 グループ CEO 佐藤 康博 氏インタビュー
日本、そしてアジアと世界の発展に貢献し、
お客さまから最も信頼される「グローバルで開かれた金融グループ」を目指して
聞き手:リッキービジネスソリューション株式会社 代表取締役 澁谷 耕一
取締役 執行役社長 グループ CEO1976 年入行。2004年にみずほコーポレート銀行常務執行役員営業担当役員就任。その後、常務取締役コーポレートバンキングユニット統括役員、取締役副頭取内部監査統括役員を経て2009年取締役頭取(2013年7月まで)。
2009年みずほフィナンシャルグループ取締役。2011年みずほ銀行取締役、みずほフィナンシャルグループ取締役社長(グループ CEO)。2013 年みずほ銀行取締役頭取。2014 年みずほ銀行取締役(現職)、みずほ信託銀行株式会社取締役(現職)、みずほ証券株式会社取締役(現職)、同年 6 月よりみずほフィナンシャルグループ取締役兼執行役社長(グループ CEO)(現職)。
アベノミクスの成長戦略を支える取組み
<澁谷>
〈みずほ〉が国内業務、海外業務において注力・重視していることは何ですか。
(佐藤社長)
国内業務についていえば、〈みずほ〉ではアベノミクスの成長戦略を後押しする取組みを行っています(※図 1)。例えば農業分野においては 6 次産業化ファンドで地方銀行と共同で組成し、〈みずほ〉は 13 のファンドに関わっています。
それから、「健幸ポイント」という予防医療プロジェクトのパイロットプランを、現在6の都市で展開しています。その他、医療・ヘルスケアやクールジャパンなど成長分野に投資するファンドを作る。あるいは、PPP への取り組み、ロボット産業の成長に向けた取り組みを行うなど、安倍政権の成長戦略を後押しする様々な取組みを推進しています。
〈みずほ〉という組織が3行の統合によってできあがったのは 2002年からですが、「みずほ」という言葉には瑞々しい稲穂、つまり「日本を象徴するもの」という意味があります。
2011年の6月に社長となり、中期経営計画を作って企業理念を改めて定めました。この際に、「日本に軸足を置いてアジア・世界の発展に貢献する」という立ち位置のメガバンクになろうと決め実行に移しました。日本の課題である成長戦略に主体的に取り組み、ひいては地域経済の活性化など、地方銀行と一緒に様々なことを行っています。地域経済活性化という観点では国内の中堅中小企業のサポートや地方創生への関与が、非常に重要になってきます。また、個人の資産運用がこれからの日本経済の大きな課題の1つになってくるので、2016年に、第一生命と折半出資する DIAM アセットマネジメントとみずほ信託銀行の資産運用部門、みずほ投信投資顧問、新光投信の 4 社の資産運用会社の統合を検討しています(9月30 日に統合を正式発表)。
国際部門についても、「Super30」という戦略で差別化を図っています。格付けがシングル A 以上の非日系企業を各地域で 30 グループずつ選定し、まずは貸出で取引を開始し、その後社債やアドバイザリーなど、銀行・証券でビジネスを展開するというモデルです。いま世の中が比較的安定しているので目立ちませんが、アセットクオリティは非常に高くなっています。例えばアメリカでいうと、アクタビスという製薬大手企業の買収案件について、これをみずほ銀行とJPモルガン・チェースとウェルズ・ファーゴの3行でアレンジしました。リードアレンジャーとして、初めはブリッジ・ローンで銀行が対応し、その後、3分の1はローン、3分の1は社債、3分の1 はエクイティになるときに銀行・証券で対応します。「Super30」戦略は、上手くいっているので、これを「Super30」から「Super50」に広げていこうとしています。 海外業務で注力していることは、バランスシートだけに頼らない、何が起こっても持続的成長を遂げられるビジネスモデルで進めていくつもりです。
新しい産業を積極的に育てる
<澁谷>
今後の日本の成長分野・産業についてお考えをお聞かせください。
(佐藤社長)
いまお話ししたことに加え、これからは、第4の産業革命といわれドイツで進んでいる「インダストリー 4.0」 のような新しい産業分野の動きが加速化していくと思っています。ビッグデータのような新しい事業をどう捉えていくかが、金融業でも他の産業にとっても重要になってきます。例えば、自動車産業でさえ、将来を考えるとメーカーがリードしていくかどうかわからないような時代に入っていくのです。電気業界の世界は変化が激しく、今までの考え方だけでは取り残されてしまう可能性があると思っています。新しいイノベーションについては積極的に育てていかなければならないと思っています。
金融機関は総合金融コンサルティング業へ
<澁谷>
取引先企業の成長支援の取り組みをどのように進めていますか。
(佐藤社長)
貸出だけではなくて、エクイティを提供したり、あるいはコンサルティングを行っていきます。最終的な金融 機関の姿は総合金融コンサルティング業になっていくだろうと思っています。そのコンサルティングの意味というのは成長支援のために産業知見を活かしてもらったり、IPOやM&A など、その企業の成長段階に応じた支援プロダクツを適宜適切に提供できるということが、これからはとても大事になってきます。銀行・証券・信託機能が連携した OneMIZUHO は、まさにこの企業の成長支援の枠組みでもあるのです。
地方銀行をサポートし、地方創生に取り組む
<澁谷>
地方創生に対して〈みずほ〉が果たすべき役割は何でしょうか。
(佐藤社長)
〈みずほ〉として、基本的には地方銀行と協働するということです。地方創生に関しては地方銀行が主導され ていますし、全銀協のアンケートによると、地方創生の政府が要請するプロジェクト「まち・ひと・しごと」の 70%は地方銀行が絡んでいますので、やはり地方公共団体にとっても地方銀行は頼りがいのあるところだと思います。地方銀行が対応することが難しいところ、例えば、海外展開のパートナーを探すことや、あるいは信託や証券の機能の活用などを協働してやっていくというのが、重要な〈みずほ〉の役割でしょう。
真摯な正義感を持って
<澁谷>
経営哲学を教えてください。
(佐藤社長)
経営哲学とは異なるかもしれませんが、一種の「正義感」みたいなものが重要と考えています。
モノをつくってそれを買ってもらうことで存在感を出すという製造業の場合はわかりやすいのですが、金融というのはモノをつくっているわけではありません。
では何の存在意義があるのかを考えると、例えば個人であれば一生のライフサイクルの中で、誕生して学校に入って、結婚して家を建てて、子どもを育てて、退職して、生涯を閉じるまでの間の節目節目に、金融というものが必要になります。それは必ずその人の夢とか希望とかに絡んでくるものです。企業でも、例えば大企業が何千億もの設備投資をするときには、会社の使命を賭けるので、金融機関としてはその時にしっかりサポートする必要があります。中堅中小企業が数千万の設備投資をするのも、社運を賭けるわけです。そういう企業にとっての夢や将来の大きな課題が出てきたときに、金融機関というのはしっかりサポートしなければなりません。それが金融の存在意義だと考えています。
そういう職業を選んだ以上、そこには一種の正義感とか一種のモラルみたいなものがどうしても必要になると思います。そこは金融業ならではの部分だと思っていて、そういう金融機関の仕事に誇りを持つ、一種の「真摯な正義感」というものを持っていない限り、金融機関はお客様からの長い信頼に耐えられないということを社内研修でも言っています。これは経営哲学とは言わないけれども、ある種の「想い」のようなものですね。
<澁谷>
先日もきんざいのトップセミナーで佐藤社長が、「金融機関のもつ社会的使命、公共的な使命」に関してお話しをされました。利益追求だけしてるようではダメで、そのような使命を果たしていくことが大切だという言葉が印象的でした。
(佐藤社長)
委員会設置会社になって以降、社外取締役といろんな議論をしていますが、私のこの持論に対し、「甘い」とか「佐藤がそういうこと言うからみずほの収益力は上がらないじゃないか」との意見が出ます。今もずっと議論しているのですが、その方の意見と私の意見が共通する部分があります。それは、「強くなければ優しくなれない」ということです。金融機関の持っている社会的使命は、絶対果たしていかなければなりませんが、そのために、強い財務基盤や収益力を持っていないといけません。
〈みずほ〉は 3 つあった銀行が 2つになったところから始まりましたし、私が社長になってから、2つの銀行を 1つにし、3つあった証券会社を 1 つにしました。また、最終的には指名委員会等設置会社、しかも指名委員会も報酬委員会も全員社外取締役という踏み込んだ体制にしました。その中で自分自身、相当色々なことを考えました。これから、私の〈みずほ〉に対する想いやその背景にある考え方を社内に伝えていかなければならないと考えていますし、〈みずほ〉はどこを目指して進んでいくのかという想いを共有したいと思っています。
<澁谷>
どうもありがとうございました。
佐藤社長は私の2年先輩で、1980 年代には日本興業銀行のニューヨーク拠点で5年間、同じ職場で仕事をしました。
1985年9月のプラザ合意以降の急激な円高で、最大の輸出相手国であった米国への輸出が急速に減少しました。この問題に対応するために、輸出から、米国での現地生産に舵を切った日本企業は、一斉に米国各地で工場を立ち上げました。佐藤社長は当時、最新のファイナンス手法であった「ファシリティー・リース」等を武器に、様々な日本企業の米国進出案件に関与し、化学メーカーや自動車メーカーの超大型案件を獲得していきました。
当時から、佐藤社長は非常に行動力溢れ、そのバイタリティには本当に驚いたものでした。夜も寝ないで仕事をする一方、週末にはテニスやゴルフをするスポーツマンでもありました。
その後、みずほコーポレート銀行頭取、みずほフィナンシャルグループ社長へとご活躍される姿を見るにつけ、当時を懐かしく思い出しながら、とても嬉しく思っております。
(2015/08/14取材 | 2015/11/02掲載)